なぜ悪いと思っていることをやってしまうのか

こんにちは、雅翔です。

 

今日も一日良い習慣を忘れずに、頑張ります!(^ ^)

 

 昨日の記事を書いてて思ったのが、なぜ本当はあまりやってはいけないものだと分かっていること(昨日の話で言えば、ゲームですね)を、好きなこと、例えば、食べること、テレビを見ることよりも優先してしまうのかを、今回は考えていきたいと思います。

 

 昔の僕にとって、ゲームはとても楽しいと思えるもので、一日中ずっとやっていたいと思えるほどでした。

なぜそこまで楽しいと思えたのかは、自分で考えてやれる、自分で操作できることが、自分にとってはすごく刺激的で、楽しいと思えたからなのかもしれません。

あとは、周りの友達もやっていたので、それに合わしてやっていたというのもあります。

ですがやはり一番は、自分で考えて、操作できる、自分が何かをコントロールできている、という嬉しさから、はまってしまっていたのかなと、思います。

 

自分がコントロールできているものが、僕にとっては居心地が良く思えたのかもしれません。

自分がコントロールできている=居心地が良い

ですね。

 

自分の思い通りに操作できることが、昔の僕にとっては一番楽しいことだったのかもしれません。

 

話を戻して、なぜ悪いと思っているのにやってしまうのかについて考えます。

結論から言うと、僕にとって、悪いと思っていることをやる事、それがご褒美なんです。

僕は、最近、自分がすごいと思えてしまい、それに甘えて食べ過ぎてしまうといったことがあります。

なぜすごいと思ってしまっているのか。

それは、自分が決めた習慣をしっかりと守っているからです。

そこで、

「ここまで頑張ったんだから、自分にご褒美を」

みたいな発想になり、大福を食べてしまったり、ご飯をたくさん食べてしまったり、色々と、自分が本当は悪いと思っている事を実行してしまうのです。

なぜか、ご褒美がなければ、自分は頑張れない、継続できないみたいないらない知識が、僕の頭にはあるのです。

まず、そのことを無くしていかなければならないと思っています。

実際に、ご褒美として、食べ過ぎてしまった後、その食べている瞬間はとても幸せになれるのですが、食べた後になると、少し罪悪感が生まれてしまうのです。

ご褒美の瞬間は幸せになることができるので、短期的に見たその瞬間だけを僕は望んでしまっていたのです。

長期的に考えようとあれほど話していたのに。笑

油断すると、すぐやられますね。笑

僕はどうすれば、「自分にご褒美がないと頑張れない説」を終わらせることができるのか。

人間だから、ご褒美がないと頑張れないのはしょうがないだろみたいな感じになると、

「まーしょうがないか。」

ってなりますが。笑

僕はこの問題を解決することで、多くの人のお役に立つことができるのではないかなと考えています。

そこで、自分で考えていきたいと思います。

 

僕はご褒美がないと本当に頑張れないのか。

分からない。

 

ご褒美があるとしたら、どんな反応をするか。

そのご褒美によるが、とても喜ぶ。

 

逆にご褒美がなかったらどうなるのか。

ご褒美があった方が頑張れるのにな。と思う。

 

以上です。

 

やはり、ご褒美がないと厳しいみたいです。笑

そこで、気づいたのが、頑張ったご褒美を、長期的に見たらとても役立つような時間を過ごすことができるご褒美にしようと、思いつきました!

そう考えると、僕の場合は、講座をいつもより長く聞くことができる、ブログをもっとたくさん書くことができる、

の二つですね。

全然ご褒美じゃないやん。笑

ですが、長期的に見たら、ある意味ご褒美なのかもしれません。コツコツやっていけば、力がつき、将来は自分が想像していなかったこと、嬉しい事が現実で起こる可能性が大きくなると思います。

それを楽しみにしていれば、頑張れるかもしれません。

この二つが俺のご褒美だ、と自己暗示できたら最高ですね。笑

 

 

 話が変わりますが、僕は本当に幸せな環境に恵まれたなと、感じています。

自由に行動することができて、お金にもそれほど困っていない。

世の中には、貧しくて、自由にやりたいことができない人がたくさんいるのに。

そういう人たちにとっては、勉強できることも幸せ、自由に行動できることも幸せ、生きていることが幸せ、だと思います。

そういう人達がいるということを、胸に刻んでおいた方が良いのではないかなと、僕は思います。

そして、いつも自分が当たり前のようにやっている事が、当たり前にできない人達もいるわけですよね。

普通って何?当たり前って何?

ていう話ですね。

世の中には当たり前がない事に気がつきます。

確かに、今まで僕が生きてきた環境で考えると、勉強できることも、自由に行動できることも、生きていることも、全てが当たり前だと感じます。

これらは、自由に暮らせない人達にとっては、全て奇跡だと感じているのではないでしょうか。

僕達にとっては当たり前。でも、自由じゃない人達にとっては奇跡。

生きてきた環境から影響を受けてしまうのは仕方ないですが、どれだけ僕達が恵まれているかを、考えていった方が良いのではないでしょうか。

そして、考えて、自分は幸せだ、ご飯も食べれて、テレビもあって、勉強もできて、ネットも使えて、あー、本当に幸せだな。

そう考えると、全てのサービスがご褒美であり、奇跡なんですよね。

なので、今以上のご褒美が欲しいなんて、贅沢な話なんですよね。

結局、僕達人間は、幸せを追い求める生き物だと、これまで記事を書いてて気づきました。

でも、幸せはそこら中に広がっているのです。

でも、そのそこら中にある幸せ、ご褒美をぜんぜん受け取れていないのが、恵まれた環境にいる人達なんですね。

では、どうすれば、幸せを受け取れるようになれるのか。

僕が考えた案があります。

それは、何か物事をする前に、ありがとう、と自分の中で唱える事です。

ありがとうという言葉は、相手も自分も幸せな気分になれる言葉だと、僕は思います。

ご飯を食べる時もありがとう、講座を聞く時もありがとう、本を読む時もありがとう、勉強する時もありがとう。

このように、何かをする時に、ありがとうと唱えてから、あるいは、やり終えてから唱えると、あー、自分は恵まれているんだな、嬉しいな、と思えるので、ご褒美が欲しい、ご褒美が欲しい、なんて、そこまで思わなくなってくると思います。

もっと言えば、僕達は生きているだけで幸せなわけですから、そもそも生きている事自体がご褒美なんですよね。

実際に自分は、幸せを感じようとして、一時的には、生きている事が幸せ、そうだ、俺は幸せなんだ、と思う事ができますが、他の人と話したりして、何か影響を受けてしまうとなると、また、元の自分に戻ってしまい、あー、ご褒美、ご褒美をくれー、となって、お菓子やら、テレビやら、ありとあらゆる物を欲張って、最終的には、罪悪感が残り、あーしっかりしないとなー、となって、また生きているだけで幸せだと思うが、人の影響を受けてしまう、元の自分に戻る、こうやって繰り返してしまうんですね。

 

 

 最後に伝えたい事は、自分に甘えている自分が嫌だ、変わりたい、成長したいと、思っているのに、ずっとこんな事を繰り返していて、結局成長できていない、そのずっと繰り返しているこんな事とはなんなのか、それに気づくこと、そしてそれをどう改善していくか考え、実行する事で、本当の成長はやってくるのではないでしょうか。

 

気づく事は大切ですね。(^ ^)

 

あとは、悪いと思っていることをやる事、それがご褒美だという勘違いをなくす事!

自分が思っている事に対して、疑問に感じる事も大切です。

なぜなら、僕が思うに、自分の頭で考え続ける事で、成長しやすくなるからです。

 

 

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました!(^^)